ライフレビュー新百合ヶ丘新築マンション
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住みやすい街! 新百合ヶ丘の歴史

住みやすい街! 新百合ヶ丘の歴史

住みやすい街! 新百合ヶ丘の歴史

「しんゆり」の愛称で親しまれている、神奈川県川崎市にある新百合ヶ丘駅。
最近では緑あふれる芸術の街として多くの方が住む人気のエリアになっていますが、ひと昔前まではそれほど目立った特徴のないエリアでした。
ここでは、このエリアの発展のきっかけになった新百合ヶ丘駅の歴史をご紹介します。

駅ができるまでの新百合ヶ丘

小田急線の新百合ヶ丘駅が開業したのは1974年のことです。
それまでの新百合ヶ丘エリアは、起伏のある椀状の丘陵地で、山林の占める割合が60%を超えていました。駅前の広場への進入路も未整備で、周辺の開発は最優先案件でした。

しかし、急激に開発してしまうと、農村地帯が無秩序に宅地開発されていくスプロール現象が起こり、周辺地域の住民や農家の方たちの生活が脅かされてしまう危険性があります。
それまで川崎市では広域にわたってスプロール現象が進んでおり、新百合ヶ丘駅の設置はスプロール化を防ぐために作られたものだったので、川崎市も小田急電鉄も、新百合ヶ丘駅周辺の開発には慎重でした。
小田急電鉄は「近郊農村の村づくり-協同組合による農住都市の建設」という構想を発表し、農家の生活の安定を図りつつ、それでいて住みよい街づくりができるよう開発計画を立てました。

地域住民と行政が一丸となった街づくり

小田急電鉄が発表した構想は地域住民が自主的に新しい地域社会を作るということを目標としており、開発に対する地域住民たちの関心が高くなります。
それにより地域住民が自主的に結集して新たな地域社会の建設を謳う「農住都市構想」という機運が高まったのです。
農住都市構想を実現するには地域と行政が協力しなくてはならず、新百合ヶ丘駅開業の年、地権者や小田急電鉄の職員、市の関係局員で構成された「百合丘南部地区総合開発協議会」が結成されます。
「川崎都市計画新百合丘駅周辺特定土地区画整理事業」も施行され、地域住民と行政が一体となって、新百合ヶ丘駅周辺は開発されていきました。

芸術の街、新百合ヶ丘へ

駅周辺の開発は地域住民と行政の協力で進んでいき、麻生区の誕生による麻生区役所の開所、日本映画大学や昭和音楽大学などの芸術系の大学の開校、川崎市アートセンターなど芸術文化関係の施設などが開きます。
商業施設も次々にオープンし、駅周辺には百貨店や映画館、低層の店舗などが軒を並べ、周辺地域の中でも特に賑わいのある街になっていきました。

駅周辺の芸術、文化施設を求め駅周辺には数多くの芸術家や文化関係者が移り住んでくるなどし、新百合ヶ丘は現在の芸術の街として、人気の高い街となったのです。

芸術の街、新百合ヶ丘へ

新百合ヶ丘駅は新宿から30分ほどの場所に位置しているなど、交通の利便性も高いです。
今後も地域住民や行政が一体となり、より住みやすく、大きな魅力のある街として発展していくことでしょう。