リリファ浦賀|横須賀のリノベーションマンション

浦賀ストーリー
Brand-New Japan.
日本の新しい一歩はここから始まった。そして今、私達の暮らしもここから新たな一歩を踏み出す。
浦賀の歴史 近代国家への礎、開国の街、浦賀。

1853年、浦賀は、いえ、日本は国として危急存亡の危機にたたされました。そう、誰もが知るあのペリーの黒船来航です。西欧列強の文明の驚異を目の当たりにした小栗忠順(ただまさ)は、それに対抗するため時の将軍徳川家茂のお墨付きを得て「横須賀製鉄所」(後の横須賀海軍工廠(こうしょう))を建設しました。ペリー来航から6年後、横浜港が日本と諸外国との貿易の窓口として開港し、西洋文化の流入とともに、文明開化がはじまります。浦賀は、日本が200年に及ぶ鎖国に終止符を打つ起点となった地であり、ある意味「近代の始まりの地」ともいえます。
咸臨丸出港の碑
愛宕山公園は、浦賀奉行組与力・中島三郎助の招魂碑建立時に整備された、明治24年開園の市内で一番古い公園です。公園内にある咸臨丸出港の碑は、昭和35年に日米修好通商条約の締結100年を記念して建てられました。碑の裏には、艦長・勝海舟をはじめ、福沢諭吉、ジョン万次郎等、錚々たる名前がならびます。

咸臨丸出港の碑

浦賀湾を挟んで向かい合う東西の叶神社。西叶神社は、源氏の再興を祈願しその願いが叶ったことから、「叶大明神」と尊称されたと伝えられています。縁結びの神社として有名で、西叶神社の勾玉を持ち渡し船で対岸の東叶神社にあるお守り袋に納めて持っていると、さまざまなご縁が叶うと伝えられています。昨今では合格祈願者も多く、受験生などで賑わいをみせています。

願いが叶う伝説

四季の風景 四季折々の絶景を求めての愉しい散策。

三浦半島沖には世界でも最大規模の海流・黒潮(日本海流)が流れていて、冬場でも温暖な気候を創りだしています。なので、周辺にはスイセンや桜、椿などの、四季折々の美しい花々に巡り会えます。また、夏には「浦賀みなと祭」が盛大に行われます。奉納舞や大灯籠(とうろう)、海上まつり囃子(ばやし)などのイベントや模擬店で、浦賀は祭り一色になり、フィナーレを飾る花火大会は、体を震わす音と、頭上に咲く大輪の花火で迫力満点です。浦賀湾からは、花火観覧クルーズも出ていて、船上から花火を望むこともでできます。浦賀ならではの魅力を感じることのできるビュースポットです。

港から駅前まで、利便性を生かした再整備計画。
再整備計画

住友重機械工業浦賀造船所が2003年に閉鎖されたのに伴い、駅前からの広い範囲に渡って再整備計画が持ち上がりました。右図のエリア1は歴史的価値が高いレンガ創りのドライドックなど周辺施設を活用した、「(仮称)ミュージアム・パーク」が構想されています。浦賀駅に近接するエリア2は、市民生活の利便性向上のために行政や文化施設を、また、港のイメージを大切にした地域の活性化に結びつく商業施設などの誘致を計画しています。海岸沿いのエリア3では、水域利用計画に合わせた客船ターミナルや港湾関連機能の充実を図り、水辺環境と調和した街創りを推進してゆきます。
「浦賀」駅前付近  

イメージ図
イメージ図
イメージ図

Emotional Life URAGA.
海が近くて、駅に近く、車での移動もスイスイ。朝目覚めた時から、ワクワクするような新しい暮らし。  
海に囲まれた三浦半島。
海に反射した陽光が、一日の気分をリセットしてくれる。
休日は、主にドライブで三浦半島をぐるりと回る。海岸沿いは景色も最高。
西は江ノ島から東は横須賀まで、
観光地に住んでいるような、贅沢なロケーション。
家族でいる時間がもっと愉しくなる、そんな日常が私に感動を運んでくる。
燈明堂、愛宕山公園からの眺望、観音崎からの日の出
航空写真
航空写真

まるでシーサイドリゾートにいるような、刺激に満ちた日常がはじまる。

江ノ島電鉄で鎌倉、江ノ島を観光、浦賀の夏は、浦賀みなと祭で花火鑑賞、江の島でサザン気分。観音崎で景色と食事を堪能。
鎌倉鶴岡八幡宮へお参り、横須賀美術館でアートに触れる。馬堀海岸で南国気分にひたる。横浜・八景島シーパラダイスで癒される。
スカジャンの意味知ってる?海外旅行も、羽田までラクラク。
※距離表示は地図上の概測距離ですので、実際とは異なる場合があります。また徒歩分数は1分=80mで概算したものです。※車の所要時間は時速40kmで算出した概算です。
 
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